芭璃旅後記 -断片集-
今回で24回目の渡芭璃となる。観光地などガイドブックに載っているところから遠く離れ、毎日、気の向くまま行き当たりばったりの旅を続けた。
瞑想の部屋か? インドのアジャンタ石窟に通じているのでは? グヌン・カウイ
風の家。寺の祭りが終わり、残された竹の骨組み。
アリジゴクの軌跡
バッテリーを背負って、川で魚取りする人。小魚やナマズが電気ショックで浮き上がってきた。
ウブドの中心部は大渋滞。遠慮なくバイクが割り込んでくる中を運転するのはスリルがある。
手製のパチンコで椰子の実を狙う少年。
ウエディングフォトを撮影中の韓国のカップル。最後に新婦さんは水際に寝そべってしまった。
Yさんの家は谷を望む素晴らしいロケーション。
娘さんはイギリスで勉強中だが休暇で帰国。息子は毎日ベスパで高校に通学している。二人とも大きくなって驚いた。
食事会ではOさんの美味しい日本料理をごちそうになった。ご馳走さま!
今回の旅で持ち帰った物は、種子と直径10cm/1128gの丸石。
出国時にスーツケース開封済みのシールが貼られていた。爆弾と疑われたのでは。
芭璃旅後記 -画家たちを訪ねて-
I MADE MARIASTA
Sebali村の棚田を見に出かけ、いつもの巨木の下にバイクを駐めると同時に、後ろから声がかかった。絵描きのMadeさんだ。「まあまあコピ(コーヒー)でも!」と誘われ、田圃を見ながら米菓子のJaja gineをかじりながら話す。今、庭に家寺を建設中で何かと資金が必要らしい。ということで、少しでもその足しになれば、と小さな絵を購入。海にバリ島の形の森が浮かび、その森の中には人々の暮らしが細密に描かれている。
KETUT JAYA KAPRUS
Ababi村に移動する日にDenpasarの彼のアトリエを訪ねた。12月の個展に向けて制作中の作品が所狭しと並んでいる。今年5月には、Ubudのプリルキサン美術館でのRuwat Bhuana Exhibitionに10人の画家に選ばれた。Ababi村でも実家のアトリエを訪ね、丘からAmrapulaを見下ろす風景を描いた水彩画を購入した。絵の向こうから風が吹き上がってくるようである。
"The Keeper" 110x90 Mixed on canvas 2015 Ruwat Bhuana Exhibitionに出品
NI TANJUNG
三年ぶりなので、元気かどうか心配していたが、私たちが訪れると上体を起こし、歌い踊り始めて歓迎してくれた。最近、彼女の作品は、スイスのCollection de l'Art Brut à Lausanneに所蔵された。この日手渡したクッロキー帳を開くと、クレパスで顔を描き始める。何度も彼女を訪問しているが、実際に描くところを見るのは初めてである。時々、手鏡越しに辺りを見渡す。耳が遠くなってきていて、Kaprusの質問には答えず勝手に喋りまくる。そろそろ帰ることを告げると、子供が拗ねているようにうなだれて元気がなり、握手にも力が入らない。
芭璃旅後記 -結婚披露パーティー-
村のマッサージおじさんMade Pasakの一人息子が結婚した。夜、自宅で披露パーティーがあるというので出かける。家の前には椰子の葉で作った飾りが建てられ、中庭の縁台やベランダには近所の人々が集まっている。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
Made Pasakは満面の笑顔で迎えてくれ、バリの米粉を蒸したスイーツが振る舞われた。飲み食いしている男衆とは別に、女性達は二日後の式のために飾り物を作っている。アラック(椰子酒)が回し飲みされ、皆が陽気ななってくると、バリ東部カランガスムの大衆芸能 Genjek(ゲンジェ)が始まる。初めはゆっくり、途中からグループに分かれた掛け合いが楽しい。Made PasaはこのGenjekのリーダーでもあり、なかなかのエンターテナーである。
まだまだ続く宴を後に宿に帰ると、天の川が流れる満点の星空。星数が多くて星座が結べない。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
* 私が2001年に録音したGenjekはこちらで
芭璃旅後記 -海へ-
AmlapuraからCandidasaへ向かう道の脇に「Pantai Pasir Putih (白砂ビーチ)」という小さな表示が立っている。道を進むと、なぜか通行料を取る村人がいて、その先のパーキングでさらに駐車料金を払う。その昔、道は悪かったが、来る人も少ない静かなビーチだった。人が集まるところは、やがてそれを目的にビジネスが始まる、と言うことか。浜辺には沢山の店が建ち、マッサージから物売りまで賑わっている。折角なので泳ごうと海に入ったのだが、荒れていて、何度も波にもみくちゃのされる。帰国後も耳の中から砂が出てきた。
AmlapuraからUjungを横目に(綺麗に再現されて興味なし)バイクを飛ばすと、潮風が吹いてくる。Serayaの村は、丸石の集積場になっていて、大きさ、形別に袋詰めされたものが転がっている。今回、一番重かったのが1128gの丸石だった。
その先では、出漁した船が順番を待って浜にもどり、新鮮な魚が次々とおばさん達の頭に乗せられて水揚げされてゆく。
芭璃旅後記 -芭璃庵その後-
PayanganからKelikiに出てTegallalangの十字路に向かう坂道で彼と目が合った。そこは芭璃庵があったところ。1998年から9年間借りていた家で、ここを根城にあちこち歩き回ったものだ。彼は三日前にワルンを始めたばかりだと言った。じゃあ、ということで定番のナシゴレン(バリチャーハン)と甘ったるい紅茶を注文した。家族はみんな元気で、日本から嫁いだNさんもたくさんの犬と暮らしている。あれから誰も住んでいない家は屋根が落ち、朽ち果てていた。朝夕、このベランダから見下ろす谷は素晴らしかった。
2001年撮影
芭璃庵 1998
芭璃旅後記 -祭りの準備-
村の寺で二年に一度の大祭があり、そのために主婦達は、シャワーで身を清めた後正装し、8時から11時半まで勤労奉仕に集まる。この「ガヤ」を観るために我々も腰布(サロン)を巻き、帯(スレンダー)を締め、出かけた。
今日は、米粉にココナツミルクを混ぜた紅白の練り物を作っている。皆さんおしゃべりが止まらない様子だが、手はしっかり動いていて、次々と神への捧げ物が出来上ってゆく。
芭璃旅後記 -畦道をゆく-
朝6時、村に流れるお祈りの声で目が覚める。宿の建つ丘の先端まで行くと、眼下に棚田が広がる。バリ島は三毛作なので、毎度、稲がどのような状態か、着いてみないと分からない。今回は刈り取り間近かで、以前は無かった霞網をかけている田もある。それでも雀が啄みに群れでやってくる。あちこちで大声で追い払う声が響き、ぶら下げた空き缶を遠隔で鳴らす装置を作っている人や、スリットの入った竹を打ち鳴らす人…。様々な方法で雀を迎え撃つ。
田圃の中に建つ小屋を覗くと、少女が本を読んでいた。タイトルを見せてもらうと、ジャワの民話の本だった。そばには椰子の殻とそれを叩く棒が置いてあるが、読書に夢中らしい。
畦道を歩いていると、声がかかる。「おはよう!」「どこから来たんだい?」「どこへ行くんだい?」。先の五日間いたUbudでは「タクシーに乗らない?」「土産物あるよ」「マッサージはどう」と、お金がらみの呼びかけばかりだったから、Ababi村はホッとする。こちらも大声で返事をして、雀を追い払うために手を叩くと、遠くから微笑みが返ってくる。
芭璃旅後記 ー 朝市へ
その土地の市場を歩き回ると、その国が見えてくると言う。今朝はレンタルしたHONDA VARIO スクーター(125cc)でPyanganの朝市へ出かけた。様々な物が並ぶ中に懐かしいものを見つけた。カラフルに色付けされたヒヨコだ。女の子にせがまれたお母さんが赤と緑の二羽を買った。こどもの頃、縁日で買おうとしたら、「すぐに鶏になってしまうよ」と言われて諦めたことを思い出した。
SIGMA dp0 Quattro
芭璃旅後記 ー 入国
Snapshot -四谷・神田・府中-
関口正夫さんと島尾伸三さんの写真展へ。
● 関口正夫 写真展「こと」Gallery Photo/synthesis